Cremé de la Crémeについて

シュークリームの語源

シュークリームは和製語。仏語では「Chou a la creme(シュー・アラ・クレーム)」、英語では「cream puff(クリーム・パフ)」、独語では「Windbeutel(ウインドボイテル)」といいます。シューとはフランス語で「キャベツ」を意味しておりシュークリームの焼き上がりの形が、ふっくらとしたキャベツの形に似ているところから命名されたといわれています。名前の語源については、シュー生地が作られ出した頃はそのときどきによってさまざまに呼ばれており本格的にシューという名称が出てくるのは17世紀になってからです。その頃に発表された『フランスの製菓人(le Patissier francois)』という本には「ププラン」という名の菓子の作り方が記され、この説明の中にシューという言葉が記述されています。

シュー皮の特徴

洋菓子の生地の中では大分類に入るものです。煮上げて後加熱し、そのことによってふくらみ、中が空洞になります。シュ-生地が空洞になったのは、はじめから空洞にしようとしたのではなく、失敗したはずみでそうなったといわれています。膨らむ原因は暖めた水蒸気による力です。それには生地の十分は弾力が必要であり、かつ一度膨らんだら、膨らんだままの状態を保たなければなりません。シュー生地の弾力は小麦粉を加熱した時にできる糊と、小麦粉に含まれるグルテンによります。さらに弾力を加える油脂と、油脂をうまく乳化させるとともに、膨れ上がったシューを固める卵という素材が総合的に働いています。以上の素材で作った生地をテンバンに絞ってオーブン入れると、内部の水蒸気が膨張します。これを弾力ある小麦粉と油脂の生地が受け止めると割れずに大きく膨れます。ある程度膨れると、生地に含まれている卵が焼けて固まるので、しぼむことなく空洞を保つことができます。

シュークリームの起源

シューはもったりとした、ルー状の重い生地であり、熱を加えると膨れることから、「ベーニェ・スフレ※」という揚げ菓子が始まりといわれています。オーブンのなかった時代、生地に熱を加える一番手っ取り早く、確実な方法は、熱湯あるいは熱した油の中に入れることでした。シューも恐らく同じ道をたどったに違いありません。記録によると1581年、料理人マルクス・ルンポルトという人の本の中に、クラップフェンという菓子が出てきます。ちょうどシューを思わせる柔らかい生地を、そこに穴を空けた壷の中に入れ、沸騰した油の中に落として揚げる方法が記されています。シュー・ア・ラ・クレームの祖型の一つといえます。またカトリーヌ・ド・メディチの製菓長のポフランがオーブンで乾燥焼にしたパート、すなわちパータ・シューの作り方を会得していたという説もあります。

この場合は生地を半焼にして半分に切り、中身を取り出して何かの詰め物をしたといいます。もしそうであるなら現代のシューに非常に近い形態といえます。また17世紀には、ルー状の生地を油で揚げるというだけでなく、オーブンに入れて焼成する方法がとられていたことが記されています。今日ではシュー・ア・ラ・クレームのほかに、はつかねずみをかたどった「スーリ」や、仕上げにフイユタージュを十文字にかけた「ポン・ヌフ」、稲妻に似ていることからつけられた「エクレール」、またその小さなもので「カロリーヌ」などいろいろなシュー菓子が作られています。さらにシュ-生地を油であげるペ・ド・ノンヌ、フランスで親しまれている熱湯で煮るニョッキなどシュー生地でいろいろな形の菓子や料理が作られています。

ベーニェ・スフレ

熱した油で揚げたシュー。シュー生地を丸く絞り出して油の中に落とし、きつね色に揚げる。中に刻んだ果物などを混ぜたカスタードクリームを詰め、上から粉糖を振って食べます。
このお菓子はフランスでは別名ペド・ノンヌ(pet-de-nonne)とも呼ばれています。この名前を直訳すると「尼さんのおなら」となります。いわれはプッと膨れた形がいかにもそれらしいということで、まことしやかに次のような話が伝えられています。
昔、ある修道院の台所で、若い修道尼がついうっかりおならをしてしまいました。彼女はあまりの恥ずかしさに、思わず手にしていたシュー生地を煮立った油の中に落としてしまいました。すると見る間に膨れ上がり、とてもおいしい菓子に変身してしまったということです。食べるものに平気でこのような愉快な名前をつけてしまうところが、フランス人らしいところであるが、こんな名前を口に出せないという人向きには、スピート・ド・ノンヌ「尼さんのため息」という呼び名もついています。

日本への伝来

シュークリームが日本に入ってきたのは、明治に入ってからといわれています。そもそも洋菓子じたいが本格的に日本に登場するのが幕末から明治初期で、その頃のものは幼稚なものが多く、カステラが主で、巻いたカステラと焼放したものをホンダン掛けした、グラス・デコレーションそのものです。その他マコロンとフィンガービスケットの類で、その他のものはほとんど見当たりません。シュークリームも日清戦争以前からあり、米津風月堂が最も早くから製造販売していたといわれています。広告50年史の中に、明治10年風月堂が「西洋模製菓子」としてミルク入り洋菓子の広告を出し、17年店主米津松造が次男垣次朗を洋行させ現在一般愛好のシュークリームを新製し広告しました。その後明治29年(1896)には風月堂の門林弥太郎がシュークリームとエクレアを製造しています。当時から仕様は同じで、シュークリームとエクレア供にカスタードクリームを詰め、エクレアは上にチョコレートをかけてあります。

京都の洋菓子界

明治38年(1909)桂月堂開業。この一件のみ。同年に京都の共進会に出品されているシュークリームが明治29年(1896)に菓子製造業艦札が確認されています。この一枚の艦札を以ってシュークリームが既に京都市内で製造販売されていたことが裏書きされています。

洋菓子の値段

明治42年(1909)米津風月堂(南鍋町分店)の服部広告の手記によりますと、シュークリーム、エクレア、セソアズ、マダレーンヌ、シュウカンデイ、クロアナン、アルメットポンヌ、アマンドパイなど1個4銭。これらのは普通のケーキで、ビスキューイ、スリーズ、ガトウアラプラリネ、ガトウシャンテリ、タルトレット、ガトウアラマカロンなど高級なものをガトウと呼んで1個5銭。

参考文献

  • 日本洋菓子史 池田文痴薯 (社)日本洋菓子協会
  • パティスリー 吉田菊次朗薯 柴田書店
  • 菓子の文化史 締木信太郎薯 光琳書院
  • 洋菓子事典 吉田菊次朗薯

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